J2JJ
との不思議な出会い。



                          01JUL.2008
Photo at shack 5 NOV.2008

 

J2JJ
/大河内正陽といえば戦前のコールサインである、そのコールが示すとおり彼自身が戦前、戦後を通して日本のHamの歴史それもDX歴史そのものと言ってよい程その経歴は輝かしい。そんなSuper OTと会うことになったのは誠に奇妙なきっかけなのである。

 私の姉は浜松市で「五味酉」と言う焼き鳥屋をやっている。あのW7PHO,VU2RBI,N7ZZ,TI2VVR,4X6TT などの外人Hamからも絶賛された備長炭の焼き鳥。日本のBBQである。当然近くのサラリーマン、医者、看護婦の人気も高い。 

私も外国流転の旅から帰ると時々店を手伝ったりしていた。 が普段は店では見かけないので常連さんが姉との会話を横で聞きながら「あれ!ママさんに弟なんか居たの?」「えーでも風来坊で何時もは日本に居ないのですよ・・」「えー外国で何ヶ月も一体何しているの?」「アマチュア無線をしながら嫁さん探しの旅をしているのですよ。」「ほーアマチュア無線ね・・そういえば僕の女房の義父もアマチュア無線をやっていたな・・」と、まーここまでは良くある話・・「義父のコールサイン分かりますか?」「分からないな・・でも、外国とは良くやっている様だよ。」ほほう・・それならカリブ海の私とQSOしたことが有るかも知れない。 「大きいなアンテナ建っていますか?」「確か伸びたりするタワーがあったな・・田園調布の妻の実家に・・」 おhh・・これで様子が一変 田園調布でクランクアップタワー・・・もしかすると・? 「それで奥様の旧姓は・・何と言うのでしょうか?」「大河内です。」!!!! 
Wohh 
これはもうあの人では・・・

 「では私の名刺代わりにQSLというアマチュア無線の名刺を持っていって、ぜひ義父様に流れ者が是非一度お会いしたい、と伝えてください。」彼は店から200mの浜松が本社のヤマハ家具の部長であった。


 五味酉入り口 後ろ 姉、前方我が家族 200711


 そんな理由で、あの田園調布の
J2JJ  OTshackを訪ねることになった、さすがに東京人憧れの住宅街、でもHam の理想の小高い丘の上・・というわけでもなかった。

 今はJP1BJR(ボンジュールというすばらしいコールだとフランス人に言われたとの事)Callshackである。 OTのお話を聞いていると本当にアマチュア無線が好きなんだな~・・ラジオ少年がそのまま、おじちゃんに成った・・と感じる。そして、この匂いは私が会ったW6AM,W7RMNP4ATI2CF と同じ歴史の匂いがした。 アマチュア無線をやりすぎて東大を落第した話が十分に納得できる。(戦前日本でDXCC完成したのはJ5CCのみ次がJ2JJ だったが後2カントリーの処で戦争突入、全てのアマチュア無線は禁止されるのである。)

J2JJ/JP1BJR at his shack



 J2JJ/JP1BJR 大河内OT

 J2JJ に会った私は戦前からCalifornia KWに対抗してJAでもKW で運用したJ2GX/矢木太郎氏に会いたかったので紹介をお願いした。
何故なら私が会った多くのWのDXerは 1st JAはJ2JJとJ2GXの名前をあげる人が多かったのである。 その中にJ2IX(1st JA YL)のQSLを保持している人も居た。

 私が2回目?のカリブ海旅行から帰った時、東京で歓迎会を開いてくれた、そこにはW6お世話になったJA1CB/野村さん(KenwoodTS500-TS930設計担当)、さらにHJ23号 7-4el Yagiの取材に我が家へ見えられたJA1ADN/井原さんも見えてくれた。今思えば身に余る光栄のOTばかりである。

 7N1JZN、JG3???JA1ADN,JH1EVE,JA2EZD,JP1BJR,JA1CB
そしてJ2JJ/JP1BJRJA1CBは帰らぬ人に・・ただただ冥福を祈るばかりである。
米塚廣雄  思い出をかみ締めながら 南国のタイで 1JUL.2008